久保マムシ

私の大便は、中性子だ。理由は分からない。2年前からそうなってしまった。中性子というと、巨大な恒星が滅んだ後に残る中性子星のそれと全く同じだ。引力が、ふざけている。スプーン一杯で何億トンというレベルだ。全てが引き込まれて、消えて、何でもなくなる。

2年前、私は静岡の焼津に住む一人の高校3年生だった。悪夢の始まりは、10月のある日だった。近所のジャスコに赴いて夕食の鍋の材料を買い終わった頃、突然激しい腹痛に襲われ、1階のトイレに駆け込んだ。用を足し、ジャスコを出ようとしたそのとき、轟音とともに、一階の食品売り場が跡形もなく全壊し、続いて二階も見事に崩落した。死者18名、重軽傷者51名を出す大惨事となった。

目撃者の証言で、事件の直前に酷烈な形相でトイレに駆け込んでいった私が疑われた。特殊な爆弾を持ち込んで爆破したものとして捜査が進められたが、証拠不十分で不起訴となった。当然だ。爆弾でもなんでもない。私の大便の引力でジャスコは崩れ落ちたのだから。

死者は全員圧死で殆ど原形をとどめていなかった。ただ、トイレに頭部を向けるようにして放射状に倒れていたことが判明している。倒壊した建物も、トイレの付近ではコンクリートが強い力で接合して岩石のようになっていたらしい。爆弾による犯行ではないことは、実は警察にも明らかだったに違いない。とにかく、私はすぐに無実の身となった。

ただ、3日後に学校へ登校したときのクラスの空気は酷く冷たく、全身が凍りつくようだった。ある者は冷ややかな無色の視線を投げ、ある者は涙を流し、ある者は絶望が全身に回って机に臥していた。足がすくむとはこういうことか、と妙に納得した。家に帰る道でも、家々が覆いかぶさるような錯覚と近所の人の軽蔑の視線に耐え切れず、私は何度も吐瀉した。
私は二週間後には外出が不可能になっていた。拒食症にもなった。あの忌まわしい大便を思い出すと、ジュースすら喉を通らなかった。自分の腹に手を当て、戦慄した。夜はひどい悪夢に苛まれた。不眠症になったが、暗い闇をじっと見ていても幻覚が見えた。俺の大便によってヒトでなくなった者が、夜な夜な襲いに来るのが見えた。
拒食症と不眠症と幻覚による焦燥で、ある日私は住んでいたマンションから飛び降りた。

しかし幸か不幸か、その時私は一命を取り留めた。
目覚めてすぐ、医者に自分の大便のことを話した。勿論あの事件のことも詳らかに述べた。その後、警察による再捜査が行われた。大便の引力によって圧縮、崩壊が進行していたかつてのジャスコは、いわゆる「 石棺 」にされて、立ち入り禁止区域に変わっていたのだが、再び掘り起こし、専門のチームが調査したところ、中にあるものは中性子の塊だと判明したらしい。私は中性子の大便を生成し続けるこの腸を治すため、すぐに東京の病院へと搬送された。何ヶ月かはいろいろな薬を服用させられたり、激痛を伴う検査が行われたりしたが、結果は同じだった。少量の粥を食べて、特別な便器で排泄を済ますと、毎回、大便は便器をことごとく破壊した。すぐさま危険物処理班のような部隊が突入してきて、便器を撤回し、私を救出する。そういう無意味な徒労を何度も繰り返した。

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それ以来ずっと、病院で点滴だけを栄養源として暮らしている。何故このような体になったのか、何故私の体は引力に耐えられているのか、全く分からないまま2年が過ぎた。今もまだ、この異常な腸は残っている。病巣が小腸にあるのか大腸にあるのかも判らない為、摘出すらされていない。あのような治療もすっかり施されなくなった。見事に諦めたのだろう。多額の費用がかかるのだから、当然といえば当然だ。現在私は「 延命治療 」を受けているに等しい。世間一般の20歳と言えば、今頃大学へ進学してキャンパスライフを楽しんでいるのだろうが、私は病室で、時々母から送られてくる本を読むばかりだ。隙あらば退屈が私を絞め殺しにくる。昨日はキェルケゴールの「 死に至る病 」を読み終えた。「 絶望は死に至る病であり、罪だ 」だと。

・・・ああ、解ってるよ。「 絶望 」なんて気色の悪い言葉だと常々思ってた。同情されたい莫迦が肌身離さず持っている魔法の言葉だろう?って。あの事件まで、私の人生は完璧だったのだ。県でも有名な進学校に通って、定期テストはコンスタントに校内トップ5を勝ち取って、スポーツ万能で、何も欠けている物など無かった。だけどどうだ。病院で、毎日残りの数十年を、何も味わえない呪われた体で潰してゆく毎日だ。未来も、この病室の壁のような身震いするほどの純白だ。これで絶望しないとすれば― まるで家畜じゃないか。

自殺しよう。冷えた脳がじわりと喋った。窓に映る変わり果てた男の顔はあまりに凄惨で、生への思いを消し去るのに十分だった。私は石のように固くなった全身を起こして点滴の針を抜くと、病院を出た。1万8000円を握り締め、まずスーパーを探す。近くにジャスコがあったが、見た途端に強烈な吐き気を感じたので3キロ先のダイエーに向かう。膝が激しく痛い。そこで刺身包丁と、バナナを1房購入し、残りの金で電車に乗りこんだ。焼津の実家へ行かなくてはいけない。

この体を産み落とした母親の前で死んでやろう。そう思った。消化の早いバナナを腹に詰め込んで、母親の前で割腹してやれば、飛び出した大便で、母も、私も、憎き隣人も消え去るだろう。私の心の中は、もう恐怖でも不安でも歓喜でも興奮でもない。「 無 」だ。ゼロではない。ただ、煮えたぎって流れるエネルギーのようなものだけを潤沢に湛えている。

電車の中で、フィリピン産のバナナを狂ったように頬張る。バナナは大きな黒斑点をいくつも抱えて、気怠げにぶら下がっていた。彼もまた、死にゆく自分の肉体に憂えているのかも知れない、と思う。理由は無いが、私は笑った。笑って、その皮を剥き、白い果肉をかじる。これが胃を通り腸を通り、肛門に整列する頃には、人類が創り得なかった兵器が完成しているのだ。そう考えてみるも、特に楽しくも無いので顔を上げた。外を見るともう夜で、幾つもネオンサインが流れていった。それもまた酷く下らない物に思えて、私はまた俯いて眠った。

−−−

午後8時、焼津駅に着いた。町はもう私を忘れ去っていたように見えた。駅前の生ぬるい空気を勢い良く切り裂いて、私は歩き始めた。
町は昔のままだった。日が暮れて誰もいない坂道を上ると、すぐ私の家はあった。膝が痛むせいなのか、家までの距離は昔よりも妙に長く感じた。インターホンを押す。玄関が開く。鍋の匂いがして、私は眉をひそめた。母は一瞬目を剥いた後、堰を切ったように話し始めた。

「 アンタ・・・治ったの? 」
「 いや、ちょっと母さんに会いに着ただけ 」
「 病院の許可はとれたのかい? 」
「 いや 」
「 アンタ駄目じゃないか勝手なことし・・・ 」

母が言葉を継ぐ前に、すばやく包丁を抜いて、目の前にかざした。母は再び目を剥いた。放心状態と言えば良いのだろうか、母の瞳の奥にはもう再会の喜びは無く、静かな震えが見えるだけだった。私は胸の底で溢れていたエネルギーを憎悪に変え、臍下に刃を立てた。
「 こんな体に生んだ罰だよ 」
そういって、ぎりぎりと肉を切り開いた。神経が集中しているだけあって、痛みを超えて焼かれるような激しい熱を感じた。すぐに、中性子に姿を変えたバナナが勢い良く漏れ出た。住宅街がきしみ始める。近くにいた母が最初に私の腹へ引き込まれた。メキメキという音がした。私の体と密着した後、その強い力はさらに母の背骨をへし折った。

母は温かかった。はっ、とした。母は少し微笑んでいた。憎悪となっていた胸の底の何かが、ゆるりと融けるのを感じた。

私は声を上げて泣いた。赤ん坊が産声を上げるのと同じように、生きる為に泣いて、生きているが故に泣いた。涙は血よりもはるかに熱かった。
住宅街が崩れ始める中で、「 ごめん 」という声がした。言ったのは私だったのか、母だったのかは分からない。ただその言葉に私は救われるような気がして、また泣いた。

次の瞬間、目の前の家がバリッと言う音を立てて崩れた。私と母は深い闇に包まれた。
ここでは久々によく眠れそうな気がする。