サトウイヌ

 新年に神のもとへ挨拶に訪れた順に、十二年のそれぞれを守護する動物を決めるというおふれを聞いた時、内心龍は得意満面だった。

 なぜならほかならぬ神自らがその手で創りたもうし神獣であるこの自分、自由に天を駆け、その咆哮で雷鳴を呼び、嵐で巨大な船さえ沈める能力を賜りしこの自分、この龍が、あまたの凡百な動物たちに遅れをとることなど万に一つにもあり得ないからで、さしずめ今回の勅令もまた、神の寵愛を一身に浴びたこの龍になおさらなる輝かしい栄誉を与えようと気まぐれをおこした神の、しかし他の動物たちへの体面もひとまずおもんばかったゆえに講じられた、ひとつの茶番であるとすら思えた。

 十二支の筆頭を飾るのはもちろんこの自分がふさわしいのだし、ほかの動物たちもみな同じ気持ちなのだろう。浮き足だった様子であれこれと仲間同士談笑している合い間にも、さりげなくちらちらと龍の様子を窺う視線がひっきりなしに感じられる。

 歩みの遅い牛などは一番乗りのために大晦日から出発するつもりだと言い、体の小さな鼠などはさらに何か企みごとを計っている様子だったが、なに、どうせ自分の敵ではない。二位以下を争うことに血道をあげるしかない凡夫たちはせいぜい身の丈にあった枠の中であがいておればよいのだし、それを尻目に当日は一足先に神の傍らにはべり、自分はその一部始終を高みの見物としゃれ込むとしよう。その日我が身に与えられるであろう賞賛と羨望の数々を思うと、はちきれるような喜びと誇らしさで、龍は今からその日が待ち遠しいほどだった。

 新年。

 死者を司る仙により旧い年が静かに巻きとられ、おろしたての一年のひかれたその第一日目、すでに高く昇った日が天頂を過ぎ傾きかける頃になって、ようやく龍は重い瞼を上げた。

(そろそろ行くかな)

 寝起きのはっきりしない頭のままで四肢にほんの少し力をこめると、たちまちその大きな体は軽々と宙へ浮き天空の高みへと飛翔する。さらに身をひとつくねらせ上昇すると、それだけでもはや地上はかすむ眼下にあり、ひとつ呼吸の前までその身を横たえていた洞穴は、はるか後方の彼方だった。

 そのまま目覚ましついでに頭をぶるんとふるい、鉤爪のついた脚でいく度か宙を蹴る。と、数秒後にはあっけないほど簡単に、龍は目的地である天帝のおわす城門の上空に静止していた。ふん、とつまらなそうに髭を揺らし地上を睥睨すると、その視線の先には今も城へと続く途を行く動物たちの、それぞれの姿が俯瞰で見てとれた。

 まず、先頭に見えるのは牛の姿だった。どういうつもりなのかその背に鼠を乗せ、ゆっくりと道々の草をはみながら、龍のいる地点まであと山ひとつというところに緩慢な足どりで歩を進めている。次に続くのは虎だった。牛からやや遅れをとりながらも、長距離を走破するには少々適さぬ脚で悠然と大地を踏み進めている。そのさらに後続には、うっかり虎の前に出て食われてしまわぬようという配慮だろうか。ひっそりと風下の位置に注意をはらいながら、つかずはなれずといった距離にひかえる兎の姿があった。その他の蛇や馬、羊たちなどはまだだいぶ離れた場所にいるようで、視界の隅にちらばる砂粒のようにしか確認できない。

 そのことごとくを一瞥にして掌握し、ゆるゆると空の上でとぐろを巻きながら、龍は冷静にその状況を吟味した。彼らは頭上で自分たちを観察している龍の存在にはみじんも気づかぬまま、それぞれのペースでひたすらにせっせと行程を進んでいる。それを眺める龍の脳裏に、ふとある思いつきがひらめいた。

 このまま一気に彼らを抜き去り真っ先に神の御許に参じることなどは造作もないことだが、それでは当たり前すぎておもしろくなかろう。先頭の動物があともう少しでゴールへ辿り着く、あとほんの数歩踏み出せば勝敗が決するという瞬間、観戦の仙たちが固唾を飲んで見守り、龍はいったいどうしたのだろうと誰もが案じるその瞬間、上空にひかえていた自分があざやかに降り立ち勝利の座を奪い去るのだ。

 そうしてこそ龍と他の動物たちとの生物としての格差がいっそう浮き彫りになるというものだし、ひいてはそれは、龍をお造りになった天帝の功績をも讃える行為であろう。これ以上ないほど明確な勝利によって皆を感服させ口々にお褒めにあずかる龍の姿に、あまたの動物たちの中でもとりわけそのようなすばらしい生き物を創った事を神は必ず満足に思ってくださるに相違なく、そうした形で主の恩に報いる龍の存在を、神はますます寵愛し重んじてくださることだろう。

 そう、全ては龍のために用意された余興なのであり、せいぜい劇的な結末を演出してこそ主役の任にふさわしかろう。あれこれと思いめぐらし結論にいたった龍はにんまりして、遅々としてはかどらない動物たちの行進を、しばしほくそ笑みながら見守り、待つことにした。

 夕暮れ。

 龍が城門付近に到着してから数刻あまりが経過し、西の空にたなびく雲が朱色に染まり、東の山あいから星々が遠慮がちにのぞき煌めく頃、牛はようよう先程の山を踏破し城門へと続くなだらかな坂道へとさしかかるところだった。もちろんその背にはあいかわず鼠がちいさな君主然と鎮座している。退屈をもてあまし空中で舟をこいでいた龍はようやく半眼を開け、巨大な顎をがぱりと開けて大儀そうにあくびをひとつした。

(もうそろそろかな)

 筋肉と鱗につつまれた体をあやつり、とぐろをゆっくりと巻きなおしながら慎重にタイミングを見計らう。牛は先程の坂道をのぼりきり、城門の一部の磨かれた階段に蹄を踏み入れようとするところだった。それを上がりきると、念願の城門が開き、奥には天帝が玉座を設け動物たちの到着を待ちかねている。

 牛が階段の半分を昇りきり、今しも城門の入口へ届こうとするまさにその瞬間、龍はぐっと胴を反らし、ひきしぼられる弓のように首をたわめると、いちどきに緊張を爆発させ雷のようにまっしぐらに地上めがけ急降下した。龍の巨体と摩擦した空気が鱗の表面でちりちりと火花となり、焦げくさい匂いがつんと鼻をつく。目もくらむような速度で変わる視界の端で、何も知らぬげな牛の背から鼠がぴょんとジャンプするのがちらりと見えた。それすら頓着せずもろとも跳び超えひと思いに神の御前へ踊り立つその刹那、


 唐突に、景色が変わった。


 牛も、鼠もいない。虎も、兎もいない。


 一瞬前まで龍の周囲に広がっていたはずの風景は跡形もなく消失し、代わりに突如として出現したのは、今までいた場所とは似ても似つかぬ砂ばかりの不毛な大地だった。

(馬鹿な)

 山間にたゆたう茜色の雲も、すぐそこに見えていた城門も、全てが見事にかき消えていた。狼狽し硬直する龍の眼前に広がるのは、雷鳴轟き暗雲立ちこめる不気味な闇ばかり。

(何が)

 信じられぬ思いで茫然とあたりを見回すと、空に浮かぶ龍のはるかな足下、地上に佇む複数の人間たちの姿がまばらにあった。いずれも畏怖の表情で龍を見上げる彼らの中心にはこぶし大ほどの輝く何かが散らばっている。なおも目をこらすと、それは丸い形をしていた。ひとつずつその数を増やす星が刻まれたそれら七つの珠が、暗闇の中、まばゆいほどのオレンジ色に、光を放っていた。